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@ゴリラsoloプロジェクト「 Kindle10冊書いてみようかな… 」の完結編、10冊目の執筆を始めました。01の書き始めって、いつも面倒くさくって何日も先送りしてしまう…。で、ようやく書き始めたので早速、その書き出しを掲載します。文章は粗いんで、このまま出版することは無いけど…。ま、とりあえず、プロセスマーケティング開始でございます。10冊目もAIではなく@ゴリラの手作り作品にて届けます。ので、まだ完成&リリースは先の話です。
10冊目を買ってくれた方に(特にいつも応援してくれている方優先で)何かお礼の特典を付けたいんやけど…何が嬉しい???
第1章 そして義理の父は「 ゴリちゃん 」と呼んだ
2002年6月8日に私は結婚式を挙げました。
その最後の新郎のスピーチ、これが私にとって人生で最初にして最高の「 心を掴む 」スピーチでした。このときはまだ、その世界観を言語化できていませんでした。が、今思うと、とてもスゴイことを実践していたことに気づけます。そのスピーチは、プレゼンのプロとなった私が解説しても、非の打ち所のない「 才能アリ!一発、特待生~っ! 」恐れ入りました…という、お手本の様なデキです。
※2022年に離婚しました。が、文章としては「 奥さん 」「 義理の父、義理の母 」という表現で書いていきます
義理の父は、真面目を絵に描いたような人です。「 とても 」真面目なので「 一周回って天然 」でもありました。
ガソリンスタンドを出る際、スタッフが「 どちらに出られますか? 」と聞くと「 ちょっと三重県まで家族旅行に… 」なんて、丁寧に照れながら答える一周回り具合です。もちろんガソリンスタンドのスタッフが知りたいのは「 右か?左か? 」です。
60歳のときに初めて開催された小学校の同窓会での話も一周回っています。帰宅後「 いやぁ50年近くも経つと、誰が誰か分からんもんやなぁ… 」と、小学校の同窓会に感想を持つのは不思議なことではありません。後日、その日の集合写真を自宅まで持ってきてくれた同級生の女性が、義理の母に「 ◯◯さん(義理の父)は、ずーっと隣のクラスの会場に参加されていたんですよ 」と教えてくれたそうです。えぇ、違うクラスなら、会話も全く噛み合わなかったでしょう。
そんな一周回って天然の義理の父は、戦後生まれ世代の厳格さや不器用さもあるそんな古風な人でもあります。結婚前、何度も自宅に訪問し、夕食を御馳走になっていました。初めてお邪魔したときから、義理の母は私のことを「 ゴリちゃん 」と呼び「 バナナ2房買っておいたで 」と言う陽気なキャラでした(実話)。一方義理の父は、無口、私との会話は基本ありません。(私もシャイなので、どーしよーもありませんw)
ちなみに、奥さんの家族構成は、義理の父、母、と三姉妹(の次女)です。のちほど、居間に長女が登場するので覚えておいてください。
一人暮らしだったこともあり「 夕食を食べて帰り 」と、何度も御馳走になりました。が、そこで展開される古風な昭和男児っぷりに驚きました。義理の母が作ってくれた料理がテーブルに運ばれると「 さ、食べなさい 」と、私に食事を促すんです。食事は出揃っていません。し、まだ料理中です。
そう、光景としては、料亭です。前菜から一品一品、料理が運ばれる度に、どんどん食べ進めます。( えっ、みんな一緒に食べへんの… )
義理の母も奥さんも台所で料理を作り続けています。途中「 お酒 」「 ご飯 」と、料理中の義理の母に注文もします。いよいよ最後の料理が運ばれて、義理の母が席に着こうとしたら「 お茶 」です。
2人が完食する頃、義理の母は、まだ食べ始めてもいません。ひぁああぁぁああぁ~!!!なんちゅーオールドファッション!んなことが気になって、夕食を味わえるどころではありません!(ま、そもそもシャイで微妙な関係の男2人が、って話なんやけど…)
世の中には、義理の父ともフランクに話せる人っていますよね。いやぁ…すごいわぁ…。なんなら、2人で魚釣りに行ったり居酒屋に行ける人もいますよね。いやぁ…いやぁ…。
そんな義理の父と母の元へ「 結婚の挨拶 」に行った際のエピソードも、私の記憶に克明に刻まれています。2人にとって奥さんは三姉妹で初めて結婚する娘でした。ので、挨拶する側もされる側も初めての機会です。普段から何度も自宅に遊びに行って顔を合わせていた関係とはいえ(その無口で厳格な義理の父ということもあって)とても緊張していたのを覚えています。
いざ、その舞台は、私の想定を超える厳格さで幕が開けました。
「 給料は、いくらだ? 」
いつも夕食を御馳走になっていた「 居間 」は、あの気まずい空気感とはまた異なったピリッとした空気に包まれていました。居間の登場人物は、義理の父と母、テーブルを挟んで、奥さんと私の4人です。
お互いが向き合う形で立ったまま挨拶を済ませたその瞬間から、義理の父の「 面接 」が始まりました。
「 給料は、いくらだ? 」
「 手取りは、いくらだ? 」
「 小遣いは、いくらだ? 」
「 何に使っている? 」
「 貯金は? 」
「 ということは、ウチの娘を働かせるつもりか? 」
娘を愛し
娘の幸せを願い
娘の苦労を憂う
シャイで無口で厳格で、真面目で不器用で一周回って天然の
それまで、将来の義理の息子になることを薄々覚悟をして夕食を共にしていた男に対し
ロクに会話をしてこなかった目の前の男に対しての
愛娘の父としての責務を全うする
本職総務部長のガチ面接です。
そんな義理の父、です。
そんな義理の父が、です。
その挨拶から半年後の結婚式のその日。披露宴は、いよいよ、最後、新郎の私のスピーチを残すのみです。
それまで、初めて娘を送り出す寂しさと過度な緊張が合わさって、ずーっと顔を強張らせていた義理の父です。娘からの両親への手紙を聞いて笑顔を見せる義理の母の横で、それでもずっと顔を強張らせ続けていた義理の父が、です。
涙を流し、体を震わせ、嗚咽し始めたのです。私のスピーチが、義理の父の心を掴みました。会場は静まり返り、その長い長い新郎のスピーチの後、会場は大きな大きな歓声と拍手に包まれました。
これが私にとって人生で最初にして最高の「 心を掴む 」スピーチでした。
驚くべきことが起きました。
後日、結婚式を終えて義理の息子となった後日、改めて自宅に訪問した際です。
「 ゴリちゃん 」
義理の父です。
あの、義理の父が、です。
あのシャイで無口で厳格で、ユーモアひとつギャグのひとつも分からない一周回って天然の義理の父が、です。私を「 ゴリちゃん 」と呼んだんです。それまで、名字で呼ばれたことはあっても、冗談でもゴの字も出てこなかった義理の父が、です。
今の私であれば、この現象をちゃんと説明できます。確かに、心を掴んだ良いスピーチでした。が、いくらなんでも「 変わり過ぎ 」です。
当時の私は、今の様に「 戦略的に 」「 シナリオを描いて 」スピーチをしていません。ただただ、一生懸命に相手のことを想って、届けた素人スピーチです。その素人スピーチは、今の私からすると「 とても下手な(自分大好きな私が、観るのが恥ずかしいほどマジで下手な) 」スピーチです。緊張しまくり、噛み噛み、あーえー多過ぎ、で、超~長い!んです。今の私が添削すれば、ダメ出しの10や20で終わりません。
気になりますよね?心を掴んだスピーチ、そしてその思考術…。
どうでしょう?
心、掴まれました?
「 どんなスピーチやったん? 」って気になって、掴まれていますか?
そうであることを願って進めます。
これ、めちゃ再現性があります。ので、結婚式を控える新郎、結婚を将来考えている男子諸氏は、この「 結果論 」天才スピーチをぜひ参考にしてください。相手との関係性でアレンジする必要はあります。が、かなりの高確率で、義理の父の心を掴めるでしょう!分からんかったら、私に相談してください。今の私であれば、あなたに天才シナリオと勇気を授けられますからね。
では「 一発、特待生! 」というその素人スピーチを、心を掴むコンサル思考術の視点で解説していきましょう。
( 初稿はここまで… さぁ、書き続けるべ… )
なんか、急に寒なったなぁ…❄☃
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