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コンプレックスは個性になります。
ただし条件があります。それはコンプレックスも含めて自分の人生であると受け入れてしまうことです。
コンプレックスとは生涯終わりのない競争
コンプレックス=劣等感です。
つまりコンプレックスとは「 他人と比べること 」によって抱く感情です。幼少期は、背が高い低い、太っている細っている、足が速い遅いという分かりやすい特徴を比較します。学生になると記憶力や表現力(美術、音楽、体育)、さらに容姿(カッコイイ、可愛い)にその範囲は広がります。社会人になると学歴や資格、趣味、年収、人脈など、生きる全てがコンプレックスの対象になっていきます。
が、最もややこしいコンプレックスは、やはり、幼少期から心に刻み込まれ続けてきた親コンプレックスです。
あなたの親が常に「 ダメ出し 」「 説教 」という「 過干渉 」な親であれば、それは常に「 人格的劣等感 」を植え付けられてきたことになります。「 ダメ 」とか「 説教 」というのは、親の中にある「 正しさと比べて劣っている 」と言われ続けていることだからです。直訳すると「 お前がダメだから説教している 」です。
例えば兄弟姉妹の環境下で育っていると、昭和世代の親は「 長男はできたのに… 」「 なぜあんたは… 」と無意識で兄弟姉妹と比較した言葉を繰り返し口から吐き出します。
当時の彼や彼女たちに悪意や他意があったとは思いません。が、その「 念仏 」は、大人になった今も自分の価値を認められずに苦しんでいる人が多くいたりします。そして彼彼女(両親)も、親(先代)からそうやって育てられてきた親コンプレックスの象徴なんです。
毒親に感謝すべきか?否か?
スピリチュアル系のことはよく知りません。ビジネス書でも、振り切ると「 宇宙の法則 」という言葉を目にする様になります。で必ず「 感謝 」「 生かされている 」「 ありがたい 」という言葉に出会います。
で、私で言うと「 感謝できない自分 」に苦しみます。で「 毒親であってもここまで育ててもらったことに、感謝できる部分もあるのでは? 」と、なぜか説教され始めたりします。ある時期、私も「 父親への感謝の儀式 」をやってみました。心のモヤが晴れた気がしました。囚われていた自分が解放された気がしました。
嘘でした。
結局それは、目を逸らしただけであって、全く、解放されていませんでした。あぁ~残念!
で、2024年現在の私の結論は「 感謝しなくても良い 」です。感謝したいと思っていないのに、感謝「 すべき 」に囚われる必要はありません。大事なのは「 感謝したくない 」というその感情に素直にいることです。仮に、感謝したい感情が湧いたとすれば、その時その感情に素直になれば良いんです。
認知すればOK
課題というのは、本人が認知すれば解決が可能になります。
コンプレックスというのは「 親の念仏 」によってコツコツと育まれた自己否定です。そのことを「 認知するだけ 」でOKです。感謝する必要もありません。精神世界で浄化する必要もありません。瞑想することもありません。感謝ノートを書かなくても何も問題ありません。感謝したければしたら良いし、感謝したくなければしなければ良いんです。親の念仏の呪縛から解放されても解放されなくても「 どっちでも良い 」んです。んなことを「 しても 」「 しなくても 」そもそも自分の価値は変わりません。
親には悪気も他意もありません。無学がゆえ自己認知が起きていません。自覚していないんです。天然、ネイティブ毒親!
とまぁ、多くの人が悩んでいるんでしょうね。そ、あなたのその悩みは他の誰かの悩みだったりします。悩みってのは、相手の感情を豊かに想像できる経験値になります。だから、相手は救われた気持ちになるんですよね。それだけで、価値あるねんけどなぁ…。
と、コンプレックスを受け入れてしまうと、実はそれが自分の個性に強烈に紐づいていたりします。ってことを発見できたときは、得も言えぬパワーを実感できます。(ってスピ系みたい😁)私であれば、他人の顔色を見て育ってきたことが、今や「 観察力 」からの「 傾聴力 」であり「 リアクショントーク力 」へと繋がっています。これが、私の個性であり、他者へ貢献できる能力に昇華しています。(と、誰かに言われる筋合いはなく、自分で勝手に言語化したらそれで良い件。)
私は自分の子どもにどんな念仏を与えてきたんやろなぁ…。親というのは、悪意も他意も無く、最も子どもに影響を与えている存在です。そんなもんです。
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