人生は選択の連続です。が「 自分が全て選択している 」と言われると途端に否定したくなるから不思議です。
私が自分で選択していないのは「 生まれてきたこと 」です。スピリチュアルな世界では「 自ら親を選んで生まれてくる 」なんて文章もあるかもしれません。まぁ、んな世界観には1mmの興味もありません。が、それ以外のことは、自分が全て選択していると認識することにしました。いつからかは忘れましたけどね。
あ、4月から高校生になった長男(15)が、GWを挟んで不登校を選びました。
この10日間ほど、思考と生活環境に変化を起こし続ける日々を過ごしています。で、落ち込んでいます。「 私は、何一つ長男の話を聞いていなかった 」ということにです。ちなみに私は、全ビジネスパーソンのトップ1%に入る聞く力を備えています。比肩する人に出会うことすら難しいなと思うほどに自惚れています。
なーんにも長男の声を聞けていませんでした。いやぁ~いやぁ~。落ち込むと同時にまた別次元の世界があるのかも?と感じています。先週から、長男と滋賀県での共同生活が始まりました。
©純度100%の自分を生々しく生きる
「 不登校だった長男が、楽しそうに学校へ行くようになりました! 」
という「 過去形の 」物語を公開する方が望ましいのかもしれません。し、まさに今、不登校を選び、いわゆる自分を否定しているであろう現在進行系のこのタイミングで書くことが望ましいことなのか?という思考も何往復もしました。
が、私はそもそも「 本人の選択を尊重する 」という生き方を選んでいる人間です。過去、当ブログでも何度も書いてきました。し、子どもの選択を尊重することも書き綴ってきました。し、その想いに嘘偽りはありません。ので、今回の長男の不登校という選択にも、色々思考することはあったけど、長男の選択を尊重するスタンスが崩れることはありませんでした。やっぱり言語化して脳内で映像化していると、心が柔軟になっていきますね。
が、です。それよりも、我が息子が「 追い込まれていた 」ということに気づけなかったことに…そういや、まだ謝罪してなかったわ…(今、謝ってきた。ま、これも自己満かもしれんけど…)。少なくとも環境の一部である私が、我が息子を追い込んでしまっていたことに気づけない、自分のクソレベルの感受性や自己チューさに呆れています。で、今、自責な感じで分かっている大人風に書いている自分にも気づいています。
「 中学校を卒業したら高校へ進学しなければいけない 」この思考は、未だ日本にはびこっています。し「 大卒の学歴が無いと厳しい 」という価値観が未だスタンダードです。現時点で彼の学歴は「 中卒 」になります。※このタイミングで「 通信高校もある 」「 大学も行けるよ 」なんてのは、まさに大人の戯言です。彼の声を聞こうとしない大人の暴力です。気をつけよーっと。
長男は不登校を選びました。行くも選択肢、行かないも選択肢です。私は中学卒業後は自由選択だと言ってきました。が、彼の心を知ろうとせず、結果、そんな環境である私も含め、彼を追い詰めてしまっていたのだと思います。
保育園の登園時、毎日泣いていた彼です。新しい環境や周りに合わせることが、本人にとってはめちゃくちゃストレスだったのかもしれません。そう考えると、保育園~小学校~中学校、それどころかクラス替えがある度に、その新しい環境に苦しんで我慢し続けてきたのかもしれません。何年も何度も日々です。
繊細さやシャイな部分は私によく似ています。似ていないのが、周りに慕われてきたことです。彼は友達に慕われてきました。明るくみんなを引っ張る人気者ではありません。が、友達は彼のやさしい人間性を慕い、結果的に中心にいるという周りに認めらてきた人気者でした。中学校の通知表には「 クラスの皆が、いつも西川君の発言を楽しみにしている。独特の視点で皆を笑わせている。 」と、担任の先生からのコメントが添えられていました。
高校は、その環境がゼロリセットされます。同じ中学から長男の高校へ進学したのは、幼馴染み一人だけでした。今思うと、担任もクラスメイトも誰一人知る人がいないその環境は、彼にとっては地獄だったのでは、ということです。周りに慕われてきた彼は、逆に言うと、彼の良さを知っている友達がいてくれる安心感があって成立してきた関係性です。そんな彼がどんな気持ちで入学式からの一ヶ月を過ごしてきたのか?「 学校へ行きたくない 」どんな想いをして吐露したのか…?
離婚して別々で暮らしていたから、そんなこと分からへんやん…と言い訳することは簡単です。が、です。
今思うと、2人でトルコ旅行に行ったときも春休み中にキャンプへ行ったときも、高校へ行く不安を吐露しつつ「 なんとか高校生活を前向きに捉えるための要素を見つけ出して言語化していたのかな… 」と思い当たることがあります。言語化することで、自分を無理に鼓舞していたんだろうと思うんですよね。いや、言い聞かせていたんやろな…。彼が心の奥に閉じ込めていた悲痛な声を聞こうともしてなかったなぁ…。「 高校生活を楽しんで欲しい 」というエゴに囚われて、前向きな言葉を掛け続けていたことも、彼を追い詰めていたのかも…。
と、まぁ、なんとなく今の感情を言語化しておきたく自己満でも良いから言語化しています。で、思うのは@ゴリラの子はゴリラやなぁと。私も、自分の本当の感情に気づきながら無視して生きてきた人間です。初めて敷かれたレールから降りたのは、29歳です。会社、仕事、日本から脱出しました。1年間ワーキングホリデーでオーストラリアに住むという「 逃げの手 」を選びました。当時結婚していたこともあって、大人という大人から非難されました。非難までいかずとも哀れみの感情を受け取りました。もう20年前のことです。が、その逃げの選択を1度たりとも後悔したことはありません。
で、3年前。再び会社員から逃げました。とにかく「 苦しかった 」んです。転職するわけでもありません。やりたい仕事が見つかったわけでもありません。何も決めず辞めました。で、同日に離婚しました。不倫したとか暴力を振るったとかではありません。苦しかったからです。終わらせたかったんです。選択したのは自分です。自分の感情を無視して生き続けることもできたでしょう。が、そのまま60歳70歳になって「 マジ、クソな人生やわ! 」と嘆いたときには、事実上、人生は終っています。そんな未来を想像したとき、私はどーしようもない感情に襲われ、逃げる選択をしました。
©純度100%の自分を生々しく生きる
50歳という年齢をリアルに感じ始めた40代半ば( このまま他人の人生を生きて死んでいくのか… )そんな恐怖心から逃げる選択をし、その数年後掲げることになるのが「 ©純度100%の自分を生々しく生きる 」という努力目標です。
長男にとって、物心ついて以降の人生で初めて「 純度100%の自分を叫んだ 」瞬間だったのかな、と思うんです。彼のキャラクターからすると、周りの目とか親の期待とか中学校までの友人や羞恥心やベッキーなど、あらゆる文脈と葛藤して、それでも叫んだ…というか叫ばざるを得なかった…。
見方を変えれば、こんなに早い段階で©純度100%の自分を選択する機会となるのであれば、そりゃすげぇことやと思うけどね。
What for ?
あ、ダラダラと何を書きたいか?です。本当は、長男が不登校を選んだということは書かなくても良いことなのかもしれません。今まさに現在進行系のこのタイミングで、です。が、今まさに私の人生で起きていることです。ので、そこに触れずに情報発信(ブログや音声、Kindle書籍)を続けるのは、不器用な私にはできないんです。あ、違うな。そうしたいからそうすると選択をしたんです。ので、ナイーブな部分は触れずに取捨選択しながら今後も発信を続けることにしました。し、そもそも、私のクソみたいなレベル感を自覚したのは間違いないけど、長男に落ち度があるわけではないからね。選択しただけやからな!
それに、この状況を書くことで私にコメントを寄せてくれる人がいるかも、ってことも期待していたりします。ぜひ色々と教えてください。既に色々と学ぶ機会になってますしね。
※生成AIさん達にアドバイス求めたら、めちゃ温かかったわ😁
あ、そうそう。こんなショート動画のメッセージが目に留まったんで共有しておきます。
人生色々って歌っていた人がいましたですな。っーか、人生は色々あるのが普通なのよね。カラフルってことやわなぁ。
p.s.
長男は阪神タイガースファンです。野球をやったことがありません。が、野球のネットゲームに嵌まってから、リアルプロ野球にも嵌まっていきました。が、私、全く興味ないんです。ので、野球観戦、そして阪神を覚えることから始めています😁2日間、一緒にTV観戦しました。「 ゴールデンルール②|最大の関心事は常に自分 」の実践です。で、今週、甲子園で観戦する機会を得ました。伝統の巨人阪神戦!Sさん、マジ感謝です🙇
コメント
コメント一覧 (2件)
最近は「相手は鏡」って言葉がよく身に沁みます。仕事でもプライベートでも。
まーそうですなー。結局、自分の振る舞いによって現実社会は成り立っていますなー😁
相手がおちょぼ口ってことよね?