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そもそも「 意味 」なんてありません。
とかく、繊細、周りが気になる、他人軸、自己肯定感が低いという特徴を自覚している人は「 自分の行為に意味を持たせる 」という特徴があります。どうでしょう?
抽象的な表現で言うと「 あのときの失敗は、このことを学ぶために起きたことだ 」なんて感じです。
もっと抽象度を上げると、ポジティブ系の本だとかそれ系の講師が言う「 同じ現象でも捉え方を変えると、ポジティブになります 」みたいな、あれです。
「 自分の行為に、ポジティブな意味付けをすることで、自分を納得させよう 」という心理が働いているんですね。
あ、で、だいたんに、もう一度結論です。
そもそも「 意味 」なんてありません。失敗に意味なんてありません。失敗しただけです。コップに「 まだ半分水が残っている 」とポジティブに表現したいだけで、意味なんてありません。コップに水が半分入っているだけです。あ、ちょっと逃げています。私が、本当に言いたい結論なんですが…
そもそも「 生きていることにさえ 」意味なんてありません。
あ、これです。これが言いたいがために、ごちゃごちゃ逃げ言葉を綴りました。
とかく、100冊とか1000冊もビジネス本を読んでいると
✅生まれてきたのには理由がある
✅一人ひとりに、この世で果たすべき役割がある
✅自分らしい生き方をすることこそが、人生の幸福度を高める
とかとか。
そうなんです。このように、かくように、そもそも「 生きていることさえも、意味を持たせよう 」とします。
これが「 苦しんでいる 」真因です。特に、たくさんの本を読んで学ぶような、真面目で頭の良い人ほど、この「 意味付けの世界 」に苦しんでいます。もちろん、本人はその世界、そのパラダイムが自分が苦しみ続けている真因だとは知りません。
私も、何度も何度も「 生まれてきた意味 」「 自分がこの世で果たすべき役割 」それこそ「 使命(ミッション) 」を文字化し、書き換え、起伏し続けてきました。
「 自分の行為に、何らかの意味を持たせなければならない 」
「 ならない 」
いや、今の自分の考えが未熟なだけで、あの行為からも何かを学ばなければ「 ならない 」
OMG😱
オーマイベッキー!
真面目、繊細、他人軸、自己肯定感が低い人が「 この世界 」で生きていると、その「 意味の上書き 」が成長だと勘違いしているんです。「 捉え方が変わった 」「 ポジティブに上書きできるようになった 」ということが「 成長 」と実感したいわけです。
が、もう、気づいているかも知れません。結局「 その延長線上 」で思考し続ける限り、結局「 ならない 」の思考から抜けることはありません。「 ベッキー 」の強弱が変わり続けるだけです。自分が成長すれば「 比較する対象も 」成長します。ので、また「 自分が未熟な(周りと比較して劣っている環境) 」になります。野球選手が3軍から2軍になると「 周りも全員2軍の実力 」があるわけです。そこで、比較して「 劣等感 」を感じます。せっかく3軍で「 捉え方が変わって 」「 ポジティブに上書きできるようになった 」と思ったのに、です。良い例えでもないけど、そんな感じです。転職先で劣等感を感じる、起業して劣等感を感じる、と置き換えても良いでしょう。いずれにしても「 延長線上 」で生きていると、意味付けの苦しみは、ずっと続きます。
「 全てに、何か意味を持たせなければならない 」
この思考が、真因なんです。「 捉え方 」でもありません。「 自分が未熟だから 」でもありません。意味を持たせなければ「 ならない 」「 ベッキー 」という、そのパラダイムに気づけるかどうか?です。で、気づけたら、そのパラダイムから抜ける「 選択をするかどうか? 」です。方法はありません。「 選択 」です。
「 認知 」なんですね。意味付けをしても良いんです。しなくても良いんです。そのパラダイムを「 認知 」して「 選択 」すれば、問題ありません。認知できなければ選択ができません。ので、ずっとその世界で「 強度 」を争うことになってしまうんです。
そもそも、意味なんてないんです。生きていることにさえ、意味なんてありません。「 意味付けしたい 」が正解です。意味付けが悪いのではありません。「 意味付けしたい 」と自覚する世界です。
認知です。
そもそも「 自分の行為に、何らかの意味を持たせなければならない 」という行動動機が「 世間体 」「 他人軸 」「 固定概念 」です。
私は、今年「 Kindle書籍を5冊連続して 」出しました。意味付けは「 デジタル資産 」「 印税 」「 自分の子どもたちへ未来のメッセージ 」など、いくつでも書けます。が、意味なんてないんです。ただただ
「 本を出したかった 」
です。これが、パラダイムを抜けた、こっちの世界の言語化です。
もっとシンプルに、もっと素直に表現すると「 感情に従っている 」です。
「 好き・嫌い 」「 したい・したくない 」です。
その後、意味など足しません。上書きしません。
シンプルです。それを受け入れるかどうか?です。
意味を後から足したり、上書きしても、そもそも「 変わらない 」んです。何も。
Kindle出版したかった!やったー!出せたー!わーい!
それで、オッケー。
その世界でオッケー。
なんか、しなやかに生きている、イキイキ生きているなぁって人、
そんな共通点じゃないですか?
それは「 外向型 」「 内向型 」の区分ではありません。
明るい、大らかな、繊細、真面目、の区分ではありません。
「 認知 」そして「 選択 」です。
なんか、しなやかに生きている人、イキイキ生きている人って
意味を考えて無いと思うんです。実際、こんな角度で会話したことはありませんけどね。
素直に生きてるって感じるのはそういうことなんだと思います。
「 後から 」ラベリングするんじゃなくって
「 先に 」好き・嫌い、したい・したくないがある感じです。
「 自分の行為の全てに、何らかの意味を持たせなければならない 」なんて、息苦しいでしょ?
「 生きていることの意味を上書きし続ける 」って、息苦しいでしょ?
本人は、このパラダイムの中で「 特訓 」「 成長 」を続けていることで、
自分を納得しているんです。修行僧の世界ですね😭
たまたま「 今 」オンライン講師がしたかった!
本を出したかった!
それが「 変わっていく 」でオッケー!
多分、意味なんて無いんです。
「 意味を考えたい 」「 意味を持たせたい 」ということなんです。
その文脈に変えていくと、パラダイムが変わっちゃっている、そんな気がします。
こんな文章を書きたかった、ので書きました。
★毎週月曜日更新!★
プレゼンのシナリオを音声で学べる Long Voice|What for ? も好評!
取り上げて欲しいテーマがあれば、コメントください!
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