(注)読むのは自己責任でお願いします。「 断れない体質の方 」は傷つく可能性があります。「 認知 」を書いています。「 認知 」は、自分と向き合うことになります。この認知の世界を受け入れられると「 断れる 」可能性が広がります。
(以下、本文)
✅また、断れなかった…
✅また、断れずに飲み会に参加しちゃった…
✅また、断れずに仕事を受けてしまった…
✅また、断れずに…
断れなかった飲み会は「 疲れ 」ます。
断れなかった仕事は「 疲れ 」ます。
し、そんな自分を責めてしまいます。
落ち込みます。
で、
✅また、断れずに…
ネットで検索したり、本を読んだり、オンライン講座に参加して、
「 そんな自分を変えようと 」投資しています。
学び続けてきました。
のに、
✅でも、また、断れずに…
行きたい。
「 断れなかった 」んじゃありません。
「 行きたかった 」んです。
「 仕事を受けたかった 」んです。
これを認めない限り「 断れずに… 」の人生が終わりを迎えることはありません。
ふ、ふ、ふざけるなっ😡!
「 行きたかった 」と認めることはできないと思います。
めちゃ、思考も感情も総動員して抵抗すると思います。
それが「 真因だから 」です。
認めたくないから、です。
んな理不尽な理由を認められませんからね…。
ちょっと文章を変えてみます。
✅また、断れなかった…
んじゃなくって「 断りたくなかった 」
✅また、断れずに飲み会に参加しちゃった…
んじゃなくって「 断りたくなかった 」から飲み会に参加した
✅また、断れずに仕事を受けてしまった…
んじゃなくって「 断りたくなかった 」から仕事を受けた
全く異なる世界です。
全く異なる文脈です。
世界が異なると、使う言語が変わります。
日本では日本語、アメリカでは英語、ブラジルではポルトガル語。
世界が異なると、使う言語が変わります。
自分で選んでいる世界なんです。
「 断りたくなかった 」つまり「 行きたかった 」「 参加したかった 」んです。
これを認めると「 断れます 」。
「 断りたい 」「 行きたくない 」「 参加したくない 」という文脈と
「 断りたくない 」「 行きたい 」「 参加したい 」という文脈は
同じ言語だから。
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