日曜日の@ゴリ推し本|傲慢と善良@辻村深月 (著)|親の思考の奴隷からの解放、そして自分の子をしこの奴隷にしていないか?

傲慢と善良@辻村 深月 (著)

辻村さんの著書を初めて読みました。というか、知りませんでした。芦田愛菜さんの本(まなの本棚)で、この辻村さんとの対談があって、なんちゅーか辻村愛が溢れかえっていたんですよね。ので、ポチってみました。の二冊目です。

で、です。小説でこれほど「 ハイライト 」を付けた本は初めてです。ビジネス書でもこれほどハイライトを付けることもありません。共感ハイライトのオンパレ!読書中「 あぁ~分かる!分かり過ぎる!なんじゃこの人(著者)!?あぁ~誰か分かり会える人と共感しあいたい!!! 」何度もその人間心理描写(言語化力)に共感と驚嘆と覚え続けました。

と、思っていたら、本編終わってからの「 解説 」で朝井リョウさんが、その溜飲を下げてくれていました。いや、ってか、その描写もヤバいんやけど…。

【解説@朝井リョウ より抜粋】
ジャンル分けするならば本作は、やはり〝婚活〟小説、〝恋愛〟小説となるのだろうが、私たち読者はいつしか、二人の婚活や恋愛の行く末と同等に、いやそれ以上に、自己の内面を見つめさせられる。自分の中にある無自覚の傲慢さを探らされる。真実の失踪の理由を探るというエンターテインメント的な輪郭の内側で、実はとても思索的な内容が繰り広げられているという構造が非常に巧みだ。著者の作品の魅力のひとつは間違いなくそのエンターテインメント性だろうが、作中で繰り広げられているのは人間心理のうちへうちへと進む思索なのである。  それを成立させているのはやはり、冒頭でも書いた〈私たちの身に起きていることを極限まで解像度を高めて描写〉する力ではないだろうか。本作で著者は、登場人物があるひとつの言動に至るまでの心理をひたすら細かく分解する。普遍性が宿るまで、人間心理の分解を止めないのである。そうすると、その言動自体は突飛なものであったとしても、どこかで読者に重なる要素というものが出てくる。そこを結び目として、いつしか物語と読者の内面を強く接着させてしまう──これが、辻村深月という作家が持つ魔法なのだと思う。

あぁ…。

読書中、ずっとこの辻村さんって著者は小説家っていうより心理学とが人間学者よな?って、めちぇ詳しいやん…って。あぁ、誰かこのこと、分かって欲しいんやけどって。

あぁ… 魔法やったんや…。

「真実(娘)もそれで──よかったのかもしれない。親が結婚相手まで決める人生に抵抗はなかったのかもしれない。しかし、この違和感は、もっと言うなら不快感だった。真実の人生が狭い価値観の中で蹂躙されている。 苦労がないよう、よりよい道を。陽子(母)がそう本心から信じていることはわかる。それでも思ってしまう。よかれと思っていたとしても──それは、支配ではないか。」(『傲慢と善良 (朝日文庫)』(辻村 深月 著)より)

「すべては母の乏しい経験則と伝聞した内容からの、くだらない思い込みだ。そこまで思って、理解した。世間知らずは、母の方なのだ、と。 自分が世間知らずだから、娘もそうだと思ってしまう。世間知らずの狭い範囲の価値観と道徳で育てた娘もまた、母親と同じ世間知らずになるのは至極当然のことだ。胸を白々とした絶望が衝く。 こんな狭い価値観でしか物を見られない──こんな人に、私の子ども時代は──学生時代は──十代は──二十代は、ずっと支配されてきたのか。」(『傲慢と善良 (朝日文庫)』(辻村 深月 著)より)

親の影響って、めちゃデカいと思っています。自分が思っているよりデカいと思っています。いい年齢になったら、親がどーのこーのではなく、自分の足と意志で歩いています。が、それでも親の影響を否定はできません。

我々の「 思い込み 」「 固定概念 」「 思考癖 」「 価値観 」「 正義 」は、親の影響です。我々のコンプレックスは親の影響です。これは良いも悪いもです。前出の芦田愛菜さんやときの大谷翔平さんの化け物級の人間性も、親の影響でしょう。あ、もちろん親も本人のことも知らんけど😁!

仮にあなたが親コンプレックスに悩んでいるとしたら、それは「 言語化 」することが一つの手段です。言語化することで「 自分が囚われていることを認知できる 」可能性があります。人間ってのは「 認知できれば 」克服できます。その認知を、この本|傲慢と善良@辻村 深月 (著) は、これでもか!これでもか!と起こしてきます。

私は自覚と認知と言語化をしてきました。ので「 共感 」という言葉がぴったりです。逆に、自覚と認知と言語化をしてこなかった「 親に支配されてきた人 」にとっては、強烈な体験があるかもしれません。

親の思考の奴隷から解放されたい人は、手に取ってもいいでしょう。が、認知によって苦しむ可能性がある人は華麗にスルーをしましょう。

ちなみに、私は、父親の影響を強烈に受けて育ってきました。思考の奴隷、アイデンティティの支配下で育ってきました。それが私の個性とコンプレックスを形成し続けてきました。今、彼は私の中で感謝や尊敬の対象ではなく「 反面教師 」という役割になっています。「 親だから 」という理由で、無条件に尊敬することもありません。私は、選択をしました。

もちろん、自分の子供たちにも選択権があります。子供の個性、人格、意志を尊重する親であろうと努めています。「 親だから 」と、押し付けない親であろうと努めています。自らの人生を自ら選択できる子供、人になって欲しいと願い、そして自らその生き方を示せるように努めています。「 感謝しろ! 」「 与えたのに 」なんて恩着せがましいことをしたくありません。

あなたは、子としてどうですか?親としてどうですか?

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