本日は、長男の15回目の誕生日🎉
私が結婚したのが2002年、長男が生まれたのが2009年。
7年の年月は私の精子にその理由がありました。検査をすると「 これは、体外受精でも難しい 」と言われるレベルの状態でした。診断通り、体外受精でもできず「 顕微授精 」という方法に頼ることになります。で、生まれてきたのが長男です。そんな長男が誕生した日の様子を、当時のブログに残してあります。を、ここに転載し、思い出に溺れる日にします。
※あ、、、@ゴリラが歌っている神回です😁長男の誕生日に自室で早朝からマイクに歌うオジサン、イケてるでしょ?
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今日、ふと家に帰ったら、昨日の分の新聞やら何やらが郵便受けに。昨日の新聞、昨日の…。おっ、昨日の新聞や。つまり、晃太朗が生まれた日の、一生に一度の日の新聞や。
ということで、こんな偶然で、君の日の新聞を残す事になりました。
ので、今日は、君が世に誕生する、その日の記録、です。
2009年10月31日(土)中華料理を皆で食べに行く。
「 明日はゴリちゃんも休みやし、生まれてきてくれたらえぇのにね。 」なんて義母が話をしている。26日(日)が予定日だったから、ま、ちょうどそれくらいに生まれてきてくれたらね~、と。
そのまま実家で泊まることに。
寝る前に、嫁さんとお腹に向かって「 もう、出てきても良いで!さ、出て来い! 」などと、おまじない?声掛けをして、就寝。
3時ごろ。深夜の3時ごろ。奥さんから声を掛けられる。その時点で、奥さんは既に1時間は起きていた。
つまり、陣痛らしき痛みを感じてから、携帯に何分置きにその痛みが来たかをメモしてた。で、何度か痛みがきていたので、僕に声を掛けた。で、義母を起こしに。
とりあえず、一度病院へ電話。電話は本人がすることになっている。本人の電話での様子で、先方もある程度判断できるからだ。で、結局、あと1時間様子を見る事になり、皆再度就寝。
で、ちょうど1時間ほど。やはり、痛みが増してきたようだ。で、病院に改めて電話し、いざ病院へ向かうことに。この年、インフルエンザが猛流行しており、病院は「 旦那以外の立会いは禁止 」ということで、義母は家に残る事に。4時30分頃家を出る。
とりあえず、奥さんは分娩室に入室。旦那さんは、椅子に説明もなく座り続ける。
暫くすると、分娩室に入室。破水しているということで、そのまま入院。部屋が用意できるまで、分娩室で待機。何度か血圧を測るも、ずっと高血圧。普段、上で90程度が、140~150の数値。用意ができたので個室に入室。
この時点で6時くらい。
で、2人で個室に。それこそ、分刻みで陣痛が奥さんを襲う。そのたびに「 背中をさすって 」と。長~く息を吐いて、呼吸を整える奥さん。ただし、あまりの痛みの感覚の短さに、早速疲れた様子が垣間見れる。間近で見る僕は、奥さんの顔の表情と、彼女の性格を知るが故に、かなり心配に。
( このまま、あと何時間も大丈夫か? )
( かなり、過呼吸になる可能性が高いんじゃ? )
ってくらい、顔の表情に余裕がなかった。で、お医者さんが当院してきた。血圧の結果から、診断なしで「 帝王切開を勧めます 」と。
高血圧では、ま、自然出産では、いわゆる生命に関わる可能性があると。で、その場で、僕は即断。OKです、と。奥さんも同意。その方が、母子ともに良いだろう。ちなみに、帝王切開は、今後子供ができても帝王切開になるという説明を受けた。
書類に記入&拇印を押す。
この時点で7時30分前。
8時前に奥さんが呼ばれ、準備に。旦那さんは、待機、ということで、待つ。
( 痛いやろなぁ~ )とか考えながら、義母と、自分の両親へ電話。決断後だったので、経緯と報告。たんたんと。「 お医者さんの判断だからね 」と、皆納得、了解。
看護師さんから呼ばれ、外の椅子で待機。やっぱり説明はない。暫くすると、用意ができた奥さんが、看護師さんに両脇を抱えられ、分娩室へ。このとき、ちゃんと声を掛けられんかった。後ろから「 頑張れ! 」って言った。
で、その椅子で座って待つ。普段、お祈りなんかしないが「 共に無事で! 」と切に願った。
8時27分ごろ。
「 西川さん? 」と看護師さんが、赤ちゃんを見てる違う男性に声を掛けてる。( いやいや、ちゃんとしーな。こっちこっち )と思いながら。
看護師さん「 西川さん、8時12分頃、出ましたよ 」
「 えっ?出てるの?早っ! 」
早くね?さっき、入っていったよね。ってのが、最初の感想。で、
「 赤ちゃん抱きます? 」
えっ、抱けるの?って、促されるままに、抱いてみた。赤ちゃん。うん、赤ちゃん。自分の子供?小さい、、、今、これ書いてるけど、あまり覚えてない。突然やったから。プロセスがなく、いきなり過ぎて。
で、とりあえず、病室で奥さんの帰りを待つ。暫くして運ばれてくる奥さん。帝王切開だから、色々管(くだ)に繋がれている。痛々しい、、、。局地麻酔だから意識はあるよう。だけど、意識はハッキリしていないし、当然、大きなエネルギーを使い、身体にもメスが入っている。ありがとう。本当に大変な大仕事だった。で、無事で良かった、、、。
男は、つくづく、何もできない。常に、待っているだけ。
そ、こうして、君は生まれてきた。
二人が予想していたのとは違う形でのご対面となった。陣痛という苦痛を乗り越え、旦那はその傍でオロオロしながら、立会いで生まれてくると予想していた。
でも、お母さんにとって、一番良いカタチだったと思う。何を隠そう、君のお母さんは、もの凄くマジメな人なんだ。もの凄く心配性の人なんだ。だから、2人が無事であっただけで、こんなにスゴイことはない。
こうして、君は生まれてきた。
2009年11月1日、8時12分、3316g。
1が3つ並ぶ、大安の日曜日のことだった。
偉大なお母さんの息子だ。
写真も動画も良いです。が、なんか、文字って良いよね。やっぱ言葉の力って良いよなぁ~。えっ、文章がクサイ?ま、そこは、ロマンチスト@ゴリラですからね😁
晃太朗さん、誕生日おめでとう🎉
中学校を卒業したら、自分で自分の人生を選択する人生に変わってゆきます。でも変わらないことがあることを知っておいてください。それは、あなたが自分で選択したことを、あなたの父は、その意志を誰よりも尊重するということです。周りの意見とか空気感より、自分の意志を一番大切に!また、CAMP行こう!ってか、付き合って😁
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