昨日、51歳の誕生日。
で、昨日のブログで3回目となる「 エンディングノート( ブログ版の遺書 ) 」を更新しました。
普段は訪れない方も閲覧してくれたようです。やっぱ興味あるんでしょうね。
50代の人は、コピペして自分用に書きましょう!今やらんと、キッカケは来年の私の誕生日まで先延ばしされることが確定します。
今日は「 なんで誕生日に遺書なんか書いてんねん 」という背景の話をしよか、と思います。
その原点にあるのが、2年前に書いた本『 50歳から生きるのが軽くなった!と言うイケオジになるための戦略書 』です。
昨日、久し振りに読み返したら、エンディングノートのことも書いてました。
2年前に書いたけど( あぁ~んなこと書いてたな… )って。
で、たった2年?やけど、当時に書いてある生活環境、人生とぜーんぜん違う未来にやってきてて、萌える。
長男が不登校になり、実家での共同生活。で、阪神タイガースの応援、甲子園にのべ10回。からの引っ越して長男と2人暮らし。で、🔰主夫になり…。逃げ続けたAIで講座や月額コミュニティの開催……。49歳の頃には1mmも想像していなかった51歳を迎えることにあいなりました。
イケオジ本を書いた頃は「 捨てる 」「 解放 」ってことがテーマやったけど、出版してから、また背負う人生にゴロっと動いたw いやぁ…人生っすねー!
世間は「 50代からの新しい始め方! 」「 人生は何歳からでも始められる! 」とキラキラ煽ってきます。
が、40代・50代が本当に苦しいのは、「 もっと別の人生があったんちゃうか… 」と妄想しながらモヤモヤを抱えて生き続けることです。いわゆる良識や世間体で、できない理由を言語化し尽くして、傷つかないよう自分を守ってきたわけです。
だから、あの本で私が書いたのは「 始める方法 」ではなく「 終わらせる方法( 捨てること ) 」でした。
キッカケとしての50歳
夫婦関係、会社員の価値観、見栄、世間体、過去への執着。
「 終わりの儀式 」をして思考の奴隷を手放していく。
50歳という年齢的なキーワードを、自分への言い訳、そしてキッカケにしていく。
で、残された時間とエネルギーを自分の人生に集中していく。
他人の人生を生きるのを終わらせる。
その究極の儀式が、毎年誕生日に書く「 遺書(ブログ版エンディングノート) 」です。
死ぬ準備やありません。
思い通りにいかない人生のハンドルを自分に取り戻し、軽やかに生きゆくキッカケです。
もし今「 50歳を迎える自分は、このままでええんかなぁ… 」とモヤモヤしているなら、ぜひ手にとってみてください。
たくさん紹介している「 終わりの儀式 」を少し実行してみた瞬間から、あなたの50歳からのハローライフが始まります。


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