人生には問題はいっぱいあるように見えているけど、真実は「 思考の枠 」に気づけるかどうか?が問われている思考のゲームだったりする

学びを活かして自分の人生を変えられるチャンスを手にしている人ってのは、自責の人です。

昨日はコミュニケーション力講座(マスターマインド|覚醒編)と結婚式スピーチ講座でした。

自責ってのは
(1)その場の目的理解 What for ?
(2)その場の参加者にとってwin↔winの状況を妄想する力
(3)で、勇気とやさしさを持って言動する力

その時間、その場を良くするのは「 お互い 」です。どちらか一方がその責任を放棄している場合、それはいわゆるフェアではありません。無責任な大人です。一般的にはTakerと呼ばれます。「 拗ねちゃってる人 」です。本人は気づいてないけどね。大人で拗ねちゃっている人ほど、面倒なことはありません。「 学ぶ時にこそ 」taker、拗ねちゃっている人になりやすいから注意しましょう。

教える側、学ぶ側が「 お互い 」にその場を良くする責任者であろうとしている場合、その場は必然と良くなります。必ず良い場になります。学ぶ側も教える側もwin↔winを目指せば、必ず良い場になります。

学びを活かして自分の人生を変えられるチャンスを手にしている人ってのは、Giver、自責の人です。

思考の奴隷

我々に度々襲ってくる「 悩み 」のそのほとんどが「 思考の奴隷 」によって創造されています。

思考の奴隷ってのは、これまでの慣習、常識、周りの人が言っているからという「 こうしなければならない 」「 こうしてはいけない 」という思考に囚われていることです。「 have to 」です。

「 思考 」なので、要は悩みの殆どが「 幻想 」まやかし、です。現実社会では実際には何も起きていません。「 そう思いたい 」という、自らを守るため(精神的に安定をもたらすため)に思考が生み出した幻想です。

ただいまご紹介に預かりました、新郎の学生時代の友人であります鈴木と申しますベッキー。◯◯さん◯◯さんご結婚おめでとうございますベッキー。鈴木家の皆様、佐藤家の皆様、本日はご結婚まことにおめでとうございますベッキー。僭越ではございますが、お祝いの言葉を述べさせていただきますベッキー。大変緊張しているので、いつものように〇〇君と呼ばせてくださいベッキー。

誰もが聞き覚えのある結婚式スピーチです。これこそが、こうあるベッキーという思考に束縛された、典型的な現象です。

私はこれまで30回以上、結婚式でスピーチや余興をやってきました。が、一度も、こんなセリフを言ったことがありません。が、一度も「 無礼な! 」「 非常識な! 」なんて言われたことがありません。それよりも「 こんなスピーチ聞いたことがない 」「 こんな余興初めて! 」と感謝されてきました。これが現実社会で実際に起きていることです。そこに悩みなんて幻想は無く「 ワクワク 」「 ハピネス 」「 感謝 」しかありません。これが私の現実社会です。し、私が教えた人も数しれず見てきた現実社会です。

思考の奴隷から「 自分を解放し 」「 思考の自由を手にする 」と、その悩みは幻想化し「 課題 」に昇華していきます。

「 さて、どうしようかいな? 」ってな具合です。

悩み…思考を束縛し、思考を停止させる
課題…思考の奴隷から解放し、思考に自由を与える

お悩み相談に来る人ってのは「 思考の奴隷 」状態です。もちろん気づいていません。ので、その状態の人に、いかな提案をしても「 いや、でも 」と、反論が出てきます。よね?

「 悩み 」は幻想です。その幻想に囚われている状態の相談者に「 現実社会では、そんなこと何も起きてませんよ 」「 そんな慣例的な定型文の挨拶なんてする必要ありませんよ 」という、誠実で真実のアドバイスをしたとて、耳には一切届きません。悲しいけど、これが現実です。

思考の奴隷から解放され、思考の自由を手に入れる方法とは?

幼少期から長きに渡り「 常識 」を洗脳されてきた我々にとって、自由を手にするというのは「 とても 」勇気が必要で「 とても 」怖いことです。思考の奴隷に従っている方が、平穏無事、平和な日常が続きます。例えそれが、無味無臭であったとしても、その方がコンフォートゾーンで快適です。わざわざ「 変わる 」なんてリスクを冒す必要もありません。

が、仮に「 いや、思考の奴隷に支配されているなんて嫌だ!自分の思考を取り戻す!思考の自由を手に入れるんだ! 」と、自ら望んだ場合…

現実社会での現実を先に変えてしまう

ことです。本人の意思によって、思考の奴隷からの解放を願うなら、です。

思考の奴隷から自分を解放していくには「 現実社会 」を変えましょう。思考を変えるのではありません。「 思考vs思考 」ではなく「 思考vs現実社会 」にゲームチェンジしましょう。思考は「 難敵 」です。長年洗脳してきた脳には「 現状維持バイアス 」という強烈な門番がいます。彼をやっつけるのは並大抵の「 悩み 」では無理です。

まずは、小さな小さな、些細な「 ベッキー 」誰に迷惑もかけないベッキーに対して、現実社会の行動を変えてしまいましょう。これまでの慣習を無視してしまいましょう。すると「 なんと言うことでしょう 」勇気を持って変えたその行動で、現実社会から非難されることも揶揄されることもなく、その上、何も状況が変わらないことに気づいてしまうでしょう。最初は気づけないかもしれません。が、少しずつ少しずつ「 現実社会が現実なんだ 」と自分を新しく洗脳し、思考の自由を与えることに成功していけるでしょう。

あ、小さな、些細な「 ベッキー 」って、例えば「 毎日お風呂入るベッキー 」「 毎日髪の毛を洗うベッキー 」みたいなことでOKです。ま、特に、外出もせず、何もしなかった日に試してみたら良いんじゃない?

「 いや、でも 」って…

知らんがなしかし…。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • いつも楽しみにしてまーす😊

    「ベッキー」に、支配されてきてましたが、解放された事がありまして、

    シチュー

    の具は、ニンジン、ジャガイモ、タマネギ

    であるベッキーでしたが、

    残った野菜のクリーム煮込みと考えれば、具は何でもオッケーでした!

    大量に残ってた白菜と鶏肉で、とっても美味しいクリーム煮になったのです。
    カレーでも白菜はクタクタになるまで煮込めば甘くなり、美味しくなるのです。
    が、会社の同僚に話すと、カレーに白菜は無いだろー!と、ベッキーに支配されています
    (*_*)
    悩みとは違う話しでごめんなさい🙇‍♀️

    • そうそう!そんなもんです😁
      シチューおもろい話ですね!
      そもそも、カレーなんかでいうと、
      関西のカレーといえば牛肉です。
      が、東へ行けばある地点から「 カレーといえば豚肉 」に変わったりします。
      的なことも、育った環境による常識、洗脳ですよね。何の悪意もないけど。
      という世界観を理解していくことからですよね。
      カレーとかシチューなんて、どーでも良いことから
      人生を悩ますシビアなことまで、ベッキーだらけでございます😁

      あ、私で言うと、そもそも「 白米のおかずにシチューは無いだろ! 」です😁

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