Kindle書籍無料公開❺|内向型の自己肯定感の新習慣|自分が愛おしくなる

@ゴリラ|CPO

Kindle出版第5弾。多くの内向型が悩む自己肯定感に「 結論 」を出しました!一冊全体を通した「 仕掛け 」を用意しています。ので、ぜひ、最後まで読み通して欲しい!あたなの自分探しの旅は、ここで無事終わることができます。

目次

2023年8月|第5作「 自分が愛おしい人生に変わる 自己肯定感の新習慣 」

はじめに~第一章を無料公開します(※自著の他の本も公開中)。

✅とにかく自信が持てない
✅なんとか自分らしさをと思って、ずっと勉強は続けている
✅周りの人を羨ましく思うけど、自分にも何か自分らしい価値があるハズ…

「 自己肯定感 」「 内向型 」「 自分軸 」という言葉がずっと気になっているあなたは、めちゃ運命の出会いです。この本を読んで「 自分探しの旅 」を終えることができます。この本では「 私(@ゴリラ) 」のことばかりを書きました。「 お前の話を読みたいんじゃない! 」という体験も含めて、全て「 自己肯定感の正体 」に繋がるシナリオになっています。ぜひ、Kindle書籍にて体験ください!

2023年8月|第5作「 自分が愛おしい人生に変わる 自己肯定感の新習慣 」
※のプロローグ~第一章を無料公開中!

Kindle書籍無料公開❺|内向型の自己肯定感の新習慣|自分が愛おしくなる

プロローグ

僕たちは、
いつから自己肯定感という言葉に振り回されているんだろう…。

自信があっても良い。自信が無くても良い。
夢があっても良い。夢が無くても良い。
ポジティブでも良い。ネガティブでも良い。

自分を好きでも良い。嫌いでも良い。
どっちでも良い。
何を選んでも良い。

この本を読み終えて「 気づかぬ振り 」を終わらせてしまう。今までもずっと選んできた。選ばされていたんじゃなく、選んできた。これまでの人生を選んできたのは、自分。気づかぬ振りをして、自分を傷つけてきた。40年間そうやってきた。もう十分。

何を選んでも良い。
し、選ばなくても良い。

自分の人生を自分で振り回そう。「 自分で選んでいる 」という手触り。これが、振り回されないという感覚。「 手触り 」を積み重ねていく。

この本を選んだのは自分。読み終えたときに「 自分で選んでいたんだ 」と自分が愛おしくなる体験を目指して。

40代。
そろそろ好き嫌いで生きてみる。



( この本の読み方 )

この本では「 私(@ゴリラ) 」のことばかりを書きました。
第1章~第4章は、私のことばかりです。そのため読み方を知らないと「 お前の話を読みたいんじゃない! 」「 自己肯定感を高める方法を知りたいねん! 」とツッコミたくなります。が、読み続けてください。

理由があります。
「 私の話を読む →自分に置き換える 」という思考を繰り返して欲しいからです。そのため第1章~第4章の終わりに簡単なワーク(gorilla’s cafe time)を用意しています。

「 私の話を読む →自分に置き換える 」この繰り返しの時間が、めちゃ良い時間になるんです。何日後か何ヶ月後かに気づきます。

その体験も含めて「 自己肯定感の正体 」に繋がる本のシナリオにしました。ぜひ、最初から最後まで読み進めてください。ちゃんと繋がる仕掛けが用意してあります。

「 自己肯定感 」「 自信 」「 内向型 」「 自分らしさ 」という言葉がずっと気になっているあなたにとって、この本は運命の出会いです。この本を読んで「 自分探しの旅 」を終える未来が待っています。 

第1章~ 心が”ジン”っとする、他者から贈られる言葉

心がジンっとするときがある。心がザワつくときもある。言葉がある。人間は、言葉に影響を受ける。言葉によって価値観が作られていく。同じ言葉を受け取っても、人により心の反応が異なる。それが「 個性 」。その受け取り方に影響を与え続けてきているのが、言葉。人間は、言葉でできている。

他者から送られて心がジンっとする言葉。相手に善意があるときもあれば、意図無く発せられるときもある。心がジンっとする言葉がある。自分の中で、じんわりと幸福感が広がる言葉がある。そんな言葉を受け取っていく。

ここで、ある本の「 まえがき 」を引用する。この本はそのときまで、あえて避けてきた。「 どうせ、お涙頂戴本なんでしょ? 」と決めつけて避けてきた。2004年、オーストラリアで水疱瘡に感染した。病状が落ち着いてからも自宅待機が続く。暇つぶしで「 仕方なく 」手に取った。「 まえがき 」の一言に心がジンっときて、やられた。一気に読破した。

そんな、乙武洋匡さんの「 五体不満足 」のまえがきを紹介する。

――――――――――――――――

昭和51年4月6日。満開の桜に、やわらかな陽射し。やさしい1日だった。
「 オギャー、オギャー 」
火が付いたかのような泣き声とともに、ひとりの赤ん坊が生まれた。元気な男の子だ。平凡な夫婦の、平凡な出産。ただひとつ、その男の子に手と足がないということ以外は。
先天性四肢切断。分かりやすく言えば、「 あなたには生まれつき手と足がありません 」という障害だ。出産時のトラブルでも、その当時、騒がれていたサリドマイド薬物の影響でもない。原因は、いまだに分かっていない。とにかくボクは、超個性的な姿で誕生し、周囲を驚かせた。生まれてきただけでビックリされるなんて、桃太郎とボクくらいのものだろう。

本来ならば、出産後に感動の「 母子ご対面 」となる。しかし、出産直後の母親に知らせるのはショックが大きすぎるという配慮から、「 黄疸(皮膚が異常に黄色くなってしまう症状)が激しい 」という理由で、母とボクは1ヶ月間も会うことが許されなかった。それにしても、母はなんとのんびりした人なのだろう。黄疸が激しいという理由だけで、自分の子供に1ヶ月間も会えないなどという話があるだろうか。しかも、まだ見ぬ我が子だ。「 あら、そうなの 」となんの疑いも持たずにいた母は、ある意味「 超人 」だと思う。
対面の日が来た。病院に向かう途中、息子に会えなかったのは黄疸が理由ではないことが告げられた。やはり、母は動揺を隠せない。結局、手も足もないということまでは話すことができず、身体に少し異常があるということだけに留められた。あとは、実際に子どもに会って、事態を把握してもらおうというわけだ。

病院でも、それなりの準備がされていた。血の気が引いて、その場で卒倒してしまうかもしれないと、空きベッドがひとつ用意されていた。父や病院、そして母の緊張は高まっていく。
「 その瞬間 」は、意外な形で迎えられた。「 かわいい 」――母の口をついて出てきた言葉は、そこに居合わせた人々の予期に反するものだった。泣き出し、取り乱してしまうかもしれない。気を失い、倒れ込んでしまうかもしれない。そういった心配は、すべて杞憂に終わった。自分のお腹を痛めて産んだ子どもに、1ヶ月間も会えなかったのだ。手足がないことへの驚きよりも、やっと我が子に会うことができた喜びが上回ったのだろう。

この「 母子初対面 」の成功は、傍から見る以上に意味のあるものだったと思う。人と出会った時の第一印象というのは、なかなか消えないものだ。後になっても、その印象を引きずってしまうことも少なくない。まして、それが「 親と子の 」初対面となれば、その重要性は計り知れないだろう。

母が、ボクに対して初めて抱いた感情は、「 驚き 」「 悲しみ 」ではなく、「 喜び 」だった。
生後1ヶ月、ようやくボクは「 誕生 」した。

【引用】 乙武洋匡、五体不満足、講談社、1998、まえがき

――――――――――――――――

◆未だに覚えている、西村先生の「 間 」

西村先生との間で、今でも忘れられない思い出が2つある。

小学校4年生のときから、サッカーを始めた。月水土と週3日の練習。毎回、地域の方がボランティアで教えてくれていた。水曜日の先生は「 バーガー 」。バーガーこと西村先生は、僕たちにサッカーの技術と楽しさを教えてくれる先生だった。

思い出のひとつ目は、サッカー大会の試合前。出場選手を用紙に書いて提出するという、公式大会だった。その用紙に「 チームのキーマン 」として僕を選んだ西村先生は、こんなコメントを添えていた。「 守備の要 」。「 かなめ 」と読むことを覚え、同時に自分の好きな漢字になった。そのコメントを読んだときの、心がジンとした記憶が忘れられない。たった漢字一文字を、35年以上経った今も覚えている。言葉の影響力は、想像を超える。

2つ目は、リフティング。リフティングというのは、手を使わずにポンポンとお手玉のように足でボールを扱う技術。分からない方は、You Tubeでチェックして欲しい。

あの出来事は、僕のサッカー人生に大きな影響を与えた。西村先生の本業は、養鶏場の経営。仕事の都合で練習に遅れてくることがあった。その場合「 リフティング 」の練習をして先生を待っていた。というのも、西村先生は「 200回できたらマクドナルドのクーポン券 」という、僕たちが楽しく練習できるための「 人参を 」ぶらさげてくれていた。実際に200回できると、皆の目の前でクーポン券をくれる嘘をつかない大人だった。で、ついたあだ名は「 バーガー 」。ハンバーガーのバーガーだ。

サッカー経験者なら分かるが、リフティング200回というのは、それほど簡単な数字ではない。しかも小学校4年生、1985年当時と言えば、インターネットやYou Tubeはもちろん、TVでサッカーを見る機会などほとんどない時代。ので、リフティングの「 お手本 」は、西村先生しかない。もしくは、自分よりも少し上手いチームメイト、だ。

そんな環境下で、200回を目指すというのは「 小学生に、ホンマにできるんかいな? 」という、疑いが最大の敵になる。今の時代は多くの動画があるから、小学生がリフティングできることを疑うことの方が難しい。

@ゴリラ少年は、残念ながら上手くなかった。小学校4年生では、結局15回しかできなかった。5年生になって、同級生の一人が200回をクリアした。衝撃だった。その事実が意識を変えた。「 できるんや! 」って。家に帰ってから自主練する様になった。15回だったその回数は、30回40回50回を数えるようになっていた。

水曜日。バーガーの練習日。「 じゃあ、リフティング始めよ 」。バーガーの掛け声で練習が始まった。

できた…。

その日「 初めて 」200回できた。
できた興奮と喜びの感情を爆発させ、バーガーの元へ猛ダッシュで知らせに行った。勢いのまま、伝えた。

「 バーガーできたっ!200回できたっ! 」

「 嘘つくな! 」

バーガーに伝えている僕に向かって、たまたま近くに居た6年生が「 嘘つくな! 」と言ってきた。その刹那、まさにその瞬間「 間と髪を挟まずに 」

「 いや、嘘付いてない。この目は、嘘を付いてない。 」
「 おめでとう。頑張ったな! 」

200回できた嬉しさがあった。自主練が実った嬉しさがあった。そんなことよりも、横から意地悪な槍を投げてきたその6年生の言葉に一瞬も揺らぐこと無く「 この目は、嘘を付いていない 」と、ただただ僕の目を真っ直ぐ見て、信じてくれたそのことが嬉しかった。その力強い言葉に、心がジンとした。

もし、仮に。少しの「 疑いの間 」があったら、僕は、リフティングどころかサッカーを辞めていただろう。(悪意なく)横槍を投げてきた6年生を恨み、憎んでいただろう。

その後、大成してプロの道に行った…わけではない。けど、そこから中学校、高校とサッカーを続けることになったのは、今でも忘れられないあの力強い言葉があったから。

◆さすがですね…

褒められたら嬉しい。その中でも「 嬉しい褒められ方 」がある。

私にとって「 さすがですね… 」は、最幸の褒め言葉のひとつ。心がジンとする。私の記憶からときどき引き出される「 さすが 」がある。それは、結婚式の「 動画 」に記録されていた。

私は新郎である後輩から余興を依頼されていた。結婚式に参加している半分は、同僚。余興の詳細は控える。が、控えめに言って、会場中が沸いた。涙から一転、爆笑。そして感動のフィナーレ。私の余興が終わり、拍手が鳴り続ける中、その声が記録されることになる。

「 さすがやなぁ… 」

後日、新郎に結婚式の動画を送ってもらった。自分の余興を見たかったから笑。余興を終えて、意気揚々と席に戻っていく@ゴリラが写っている。拍手と歓声の中「 さすがやなぁ… 」という賛辞を私は聞き漏らさなかった。

私に言うでもなく、大きな声で叫ぶでもなく「 ため息の様に出された 」この「 さすがやなぁ… 」は、心の声が漏れてしまった最大級の賛辞。心がジンとした。たまたま拾ったこの声は、私の仕事振りを知っている同僚から漏れ聞こえた声だった。

《類語》
・あの@ゴリラさんと飲みたい
・あの@ゴリラさんは結婚してんの?
・@ゴリラさんに頼んで良かった

後日、新郎から「 新婦側の親族の方から大絶賛だった 」と聞いた。「 あの@ゴリラさんと飲みたい 」「 あの@ゴリラさんは結婚してんの? 」と、新郎への「 問い合わせ 」が寄せられたという。新婦側の親族にとって「 新郎の株 」が上がったのだ。狙いが届いたことが分かり、心がジンとした。

◆やり切ってる、それがカッコ良い

分かってくれているなぁ、という言葉は嬉しい。

私は、余興を30回以上やってきた。その中に、同僚の「 再婚夫婦 」が含まれている。お互いバツイチ。新郎は同期。新婦は先輩。私を含めて職場仲間。再婚同士なので「 さすがに余興はしない 」と「 伝えて 」いた。司会者以外には。

司会者も、同僚の先輩女性。であり、皆に慕われる姉御(あねご)かつご意見番的存在。数週間前から「 余興をしない 」という長〜いフリをしている。で、当日、会場が間延びしてきたそのタイミングで始めた。

突然「 金色のタイトなワンピース姿 」「 ドギツイ化粧と金髪 」の@ゴリラが同期の女性2人と登場した。大歓声、ではなく会場に飛び交う悲鳴。からそのまま始まるステージショー。

サプライズは「 知らない人が多い 」ほど、爆発する。「 新郎新婦以外、皆知っている 」パターンは、そこまで盛り上がらない。「 知らない人が多ければ多いほど 」成功したときの熱狂は最大化する。

「 あの子、やり切るからカッコ良いわ… 」

日頃、私のことを「 ブサイク 」と呼ぶ司会者は、毒舌家でもあり本音屋でもある。後日届いた私を評したその声に、私の心がジンとした。サプライズも大事、余興の内容も大事。が、照れずにやり切ることが最も大事。

《類語》
・「 友人代表スピーチで、あんな拍手起こったの見たことない 」

◆やっぱり、内容がオモシロいです

褒めて欲しいことを褒めてくれると、嬉しい。

セミナーとか研修とか、これまで人の前で数百回しゃべってきた。ので、話し上手と褒められるのは当然嬉しい。が、何を褒められるかで、その悦びが変わる。私で言うと、流暢に喋ることを「 話し上手 」と褒められても悦びは低い。よりも「 内容が面白かった 」と言われる方が嬉しい。その「 面白かった 」も、いわゆる「 脳みそが刺激された 」「 Interesting(興味深い) 」「 感心した 」の響きで発せられる「 オモシロい 」に、心がジンとする。笑いの意味で「 オモシロかった 」とは、次元が異なる。 

《類語①》
・よう、そんなこと気づけますね
・よう、そんなこと思いつくわ

「 よう、そんなこと気づけますよね 」「 よう、そんなこと思いつくわ 」と、私独自の論点を評価されたときの悦びは別格。そこに気づいてもらった時点で、心がジンとする。

《類語②》
・繊細ですね

余興にしてもセミナーにしても、どこまで緻密に計算し続けるか?どこまで空気の変化を感じ続けられるか?に心を配る。が、分かる人には分かってしまう。その心配りを見抜いて「 繊細なんですね 」と言われたとき、心がジンとする。相手を抱きしめたくなると同時に、その眼力にちょっと慄(おのの)く。

◆絵本の読み聞かせみたい

「 話し上手ですね 」史上、私が最も気に入っている表現がこれ。「 @ゴリラさんの話は、絵本を聞いているみたい 」。元同僚の女性のこの表現は、私の宝物、永久欠番。私が想い描いていた世界観を、見事に表現してくれたその言葉選びに、心がジンした。

《類語①》
・内容が頭にすーっと入ってきました
・なんで、そんなに分かりやすいんですかね?

単純に「 話し上手ですね 」と褒められるのも嬉しい。が、偉そうに言うと「 自覚している 」。料理人に「 料理上手ですね 」サッカー選手に「 サッカー上手ですね 」と伝えているのと同じ感覚なんだと思う。ので、より豊かな表現で、私個人に向けられている褒め言葉に、心がジンとする。

「 なんで、そんなに分かりやすいんですかね? 」は、もはや褒めていない。「 降参 」とか「 呆れる 」という感嘆の感情さえ混ざっている。心がジンとする。

《類語②》
・納得しちゃうんですよね…

「 @ゴリラさんの話を聞くと、もう、納得しちゃうんですよね… 」。経営者とか部長とか、ある程度のクラスになると「 自分の正しい価値観 」がある。そんな方から「 納得しちゃうんですよね… 」というのは「 なんか、穴を探そうと思ってたのに、降参しました 」という文脈まで含めて、心がジンとする。

◆その他、至宝の言葉
・部署に居てくれて良かった
・会議に居てくれなかったらヤバかった
・まとめるの上手やなぁ…
・シナリオがすご過ぎです…
・ブレませんね
・近々、飲みに行ってください!
・一番良かったのは、出会えたことです
etc

自分が「 意図していたこと 」が理解されると嬉しい。それを言葉にして贈られると、心がジンとする。「 その他大勢 」ではなく、自分ならではの表現を褒められたときに、心がジンとする。自分の存在意義が認められたときに、心がジンとする。どうやら、私の心のセンサーはこんなタイプらしい。

心がジンとする、あの瞬間はたまらない。データに残されているのは、ヘビロテ(何度も繰り返し視聴)できる。何度もジンジンできる。そんな自分が、たまらなく愛おしい。

あなたは、どうだろう?

gorilla’s cafe time①
第1章~心が”ジン”っとする、他者から贈られる言葉
「 他人から贈られた言葉を受け取れる人になる 」

✅心がジンとした言葉と場面を思い出す
✅言葉にして受け取ってみる

( 第1章 終わり )

2023年8月|第5作「 自分が愛おしい人生に変わる 自己肯定感の新習慣 」
続きは、Kindle書籍で!
自己肯定感の悩みは「 これまで学びでは解消されません! 」それは、あなた自身が証明しています。ので、新しい習慣に出会ってください。新しい習慣を身につければ、気づけば自己肯定感から離れた自分に出会います!

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