「 大型な研修を受注した 」という相談者の話を聞きながら、プレゼンって、やっぱ「 そもそもの定義 」が大事よなって思うことがあったので、久し振りにプレゼンのことを書きます。
プレゼンを「 キッカケづくりの場 」と定義している人は少ないでしょう。プレゼンを「 キッカケづくりの場 」と定義すると、見える景色が変わってきます。
プレゼンを生業としている人に「 プレゼンの定義は? 」と聞くと、概ね「 受注する場 」「 相手に理解納得いただくこと 」とか「 課題解決 」って言葉が出てきます。
で、日本人は、概ね完璧主義です。ので、プレゼンの場では「 完成形 」「 答え 」「 正解 」を用意しないといけないと思っています。よね?だから、苦しみます。特に、会議での発表なんてのは典型的です。減点方式の程度が低い上司から重箱を突っ込まれます。ので、いかに突っ込まれない資料を作成し、突っ込まれない発表をするかに精力を傾けます。
んなものはプレゼンでもなんでもなくて、ただの程度が低い上司の「 私は会議をやっています 」というパフォーマンスに巻き込まれている悲劇です。人生の無駄遣いです。
私が理想とするプレゼンってのは、そのプレゼンを「 叩き台として 」議論がなされる場です。プレゼンを叩き台として建設的な意見交換が始まれば正解です。この認識を「 その場の全員が 」していれば、プレゼンってのは、とてもハッピーな場になります。
ところが、日本式プレゼンは「 総ツッコミ 」みたいな場、もしくは「 吊し上げ 」みたいな場になっています。よね?今、YouTubeで、ビジネスプレゼン系の企画番組が増えました。が、どれも基本は「 総ツッコミ 」「 吊し上げ 」系です。その方が、視聴率(登録者数、再生回数)が取れるからです。ので、あれは私が理想とするプレゼンではなく、あくまでも番組の演出として捉える距離感が必要です。が、鵜呑みにしちゃう人がいるんですよね。
プレゼンを「 キッカケづくりの場 」として定義できたときにそれぞれの責任が明確になります。
このように、両者の責任を明確にすることは「 前提条件 」です。こんな大人が集まったプレゼンの場ってのは、とても建設的でとてもユニークでとても明るい議論が交わされています。素敵でしょ?こんな場であれば、自分もプレゼンをやってみたいと思う人が増えます。だって、自分の主張が磨かれるわけですからね。ま、全てはトップの責任です。トップの能力次第です。
プレゼンがお葬式、お通夜みたいな場になっている場合「 そもそも 」を確認してください。パワポ資料でもプレゼンスキルでもありません。んなことはマジ関係ありません。
✅️プレゼンの定義が無い
✅️プレゼンの定義が間違っている
✅️参加者全員のプレゼンの定義が合っていない
が原因です。
で、個人事業主(コンサル、コーチ、講師)でプレゼンの機会がある場合「 相手とプレゼンの定義を合わせることからプレゼンが始まっている 」と認識してください。この認識をせず「 このたびはプレゼンの機会をいただきありがとうございます 」なんてプレゼンしているとすれば、それはただの浮かれたアマチュアギャンブラーです。とにかく「 相手との定義合わせ 」に精力を注いでください。私は、年末「 年商数兆年 」の企業の研修を担当しました。が、その際も「 事前の定義合わせ 」の打ち合わせだけで3回時間をもらいました。これは「 こちらから 」声を掛け続けることです。相手からそんな声が掛かることはありません。で、結果、先方社内で過去最高の評価(参加者アンケート点数)となり、翌月リピートで依頼をいただきました。
「 そんな時間に付き合ってもらえるのか? 」「 そんなことを聞いて失礼じゃないのか? 」と、質問をいただきます。もちろん「 問題ありません 」。その心配はよくわかります。が、私からすれば、事前の定義を合わせずに、出たとこ勝負、話し方スキル勝負のギャンブルプレゼン(講座)をして、クレームになる方が問題です。100億倍時間もエネルギーも奪われることが分かっていますからね。
定義合わせをどーやって先方とすれば良いか?って悩むのであれば、そこから相談してください。
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